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天地人ゆかりの地を訪ねる
年譜・直江兼続

年譜でたどる兼続の人生

直江兼続。天下の覇者ではない。一国の領主でもない。戦国の世に「義」と「愛」を貫いた男。

1555年 ・弘冶1年 上杉景勝が誕生。父は坂戸城主の長尾政景。母は上杉謙信の姉の仙桃(洞)院。
1560年 ・永禄3年 直江兼続が誕生。父は長尾政景の家臣、樋口惣右衛門(兼豊)。
1561年 ・永禄4年 第4回川中島の合戦。
1564年 ・永禄7年 第5回川中島の合戦。
政景が死去。のちに景勝が上杉謙信の養子になる。
1570年 ・元亀1年 上杉謙信は小田原の北条氏康の子を養子に迎える。景虎と命名。
1578年 ・天正6年 上杉謙信、急病死、四十七才。謙信の後継ぎ争い(御館の乱)が起きる。兼続は景勝の側近として戦功をあげる。
1579年 ・天正7年 景虎が鮫ケ尾城で自刃。景勝が上杉家の後継者となり、武田家から菊姫を嫁に迎える。
1581年 ・天正9年 織田信長と結んだ新発田重家が反乱。
与板城主、直江信綱が急死。上杉景勝により兼続は直江家を継ぎ、直江景綱の娘お船の方と結婚。与板城主となる。21才。
1582年 ・天正10年 織田信長の軍勢が越後に向けて侵攻し、魚津城などが落城。
本能寺の変により織田信長自刃。
1583年 ・天正11年 直江山城守兼続を名のる。
1586年 ・天正14年 秀吉の招きで景勝、兼続、大阪城で秀吉と会見。
1588年 ・天正16年 山城守に任ぜられ豊臣の姓を賜る。
1589年 ・天正17年 秀吉の命を受けて佐渡を平定。
1590年 ・天正18年 秀吉の小田原攻めに、景勝、兼続も出陣。秀吉、全国平定。
1592年 ・文禄1年 秀吉による朝鮮出兵・文禄の役がはじまり、景勝・兼続も渡韓。
1594年 ・文禄3年 兼続に嫡男・景明が誕生。
1598年 ・慶長3年 景勝は越後から会津120万石に国替え。
兼続は米沢6万石を与えられる。
秀吉、伏見城で病死、61才。
1600年 ・慶長5年 徳川家康から謀反の疑いをかけられ、兼続が「直江状」を出す。
徳川家康、諸大名に景勝攻めを命ずるが、石田三成の挙兵を知り引き返す。
関ケ原の戦いに西軍破れ、景勝は家康に謝罪使を出す。
1601年 ・慶長6年 景勝は米沢30万石に滅封され、兼続等家臣と米沢城へ移る。
1603年 ・慶長8年 徳川家康が江戸幕府を開く。
1604年 ・慶長9年 兼続は家康の重臣だった本多正信の子を娘・お松の婿養子に迎えるが、のちに直江家を去る。
1614年 ・慶長19年 大阪冬の陣、家康方として景勝、兼続出陣。
1615年 ・元和1年 大阪夏の陣、家康方として景勝、兼続出陣。
大阪城落城、豊臣氏滅びる。
1616年 ・元和2年 家康死去、73才。
1619年 ・元和5年 兼続は江戸の鱗屋敷で死去。58才。幕府、香典銀50枚を贈る。
1623年 ・元和9年 景勝が米沢城で死去。